の嗚咽を中断させたのは、徐々に近付いて来る救急車のサイレンだった
肩に回されたカノンの腕をそっと振りほどき、がカノンを見上げる


「カノンさん、乗らないと。」

「いや、俺は良い。こうして無事に立っているのだから。」

「良くは無いわ。貴方のその怪我、誰がどう見ても医師に診て貰うレベルだわ。第一、その破片はどうやって処理するつもりなの?」


の主張は全く以って尤もで、カノンは返答に窮した
まさか、幾らなんでも今この場で『自分は聖闘士だから少々の傷くらいどうにでもなる』とは言えまい
正直な所、年中危険な任務と背中合わせのカノンに取ってこの程度の怪我は子供が転んだ程度の物なのである
だが、今彼の横に立っているのも、目の前で救急車から降り立ったのも、全員が一般人である以上、此処は彼の現実を主張するのは得策とは言えなかった
今度はの方がカノンの手を取り、トリアージ中の救急隊員の方へと軽く曳く


「さあ、乗りましょう、カノンさん。」


はカノンの返答を待たず、近くの隊員に『この人、怪我をしています!背中にガラスの破片が刺さってるの!』と大声で呼び掛けた
のその呼び掛けに対応した隊員がすぐさま飛んで来て、カノンの背中や胸部を確認し右手首に黄色のタグを付けた
これは緊急災害時における要治療レベル識別シグナルの一つで『待機的治療群』を指すものである
識別シグナルは4色から構成されており、『黒(死亡・ないしはそれと同等)』『赤(最優先治療群)』『黄色(待機的治療群)』『緑(保留群・搬送の必要無し)』の段階に分けられている
つまりカノンは『意識不明などの重篤状態ではないが、病院に搬送して診察する必要有り』と言う訳だ
見渡す限り、他の被害者も巻かれているのは黄色のタグか緑のタグだけの様子で、重篤な人間はいない様だった
密かに警備に当たっていたカノンとしてはこれはこれで喜ばしい事なのであるのだが、同時にこのトリアージ順位で行くと自分は真っ先に救急車送りにならざるを得ない
カノンに取ってはこれ以上無いくらい情けない話だが、ここは大人しく指示に従うより外に無かった
隊員に付き添われて渋々救急車に乗り込んだカノンの背に、すっかり聞き慣れたの声がぶつかる


「私も乗せて下さい!この人、私を助けようとして怪我をしたんです。私も同乗します!」


カノンは束の間意外な表情を浮かべたが、隊員にどうするか訊ねられると間髪を入れず頷いた
周囲も緊急を要する被害者が居なかったのもあり、同乗に関しては然程厳しくチェックが入れられる気配は無い様だった
隊員の手招きを受けたが救急車のステップにさっと足を掛け、カノンの隣に座った
が乗り込んだのを確認した隊員が車にエンジンを掛け、救急車はニキス通りを走り出した
背中に怪我を負ったカノンは座席に背を付ける訳には行かず、若干前のめりに背を丸めて座っている
は相変わらず痛々しいその背中を見遣り、ぽつりと呟いた


「ごめんなさい、私を庇ったせいで…。」

「謝るな。お前が悪い訳じゃない。」

「でも、貴方あの時私に『危ない』って教えてくれたのに…。」

「俺が教えた所で、あの状況ではどうにもできないのが普通だ。気にするな。」


カノンの口調は一見突き放す様に聞こえるが、一方でに対する気遣いの様な物も感じられる
ともあれ、これ以上の謝罪は恐らく逆効果になるであろうと言う事だけは悟り、は一旦口を閉ざした
二人を乗せた救急車は、けたたましいサイレンを振り撒きながらニキス通りを加速して進んで行く
どんどん遠ざかり小さくなる事件現場を振り返り、は隣のカノンを見上げた


「…一体、何が目的だったのかしら。」

「………さあな。」


同乗する隊員の手前、あくまでも『テロ』と言う直接的な表現は避けては訊ね、カノンもそれに返した
はそこで言葉を詰まらせたが、カノンが両の手を前に組み付け加えた


「こうして俺が一番の緊急患者になったくらいだ、これで済んで良かったんじゃないか。」

「…そうね、本当に。」


は横目でカノンの顔を見遣りつつ暫く黙り込んでいたが、ややあって再度口を開いた


「本当にありがとう。・・・本来なら立場が逆で、この救急車に乗せられていたのは私の方だった筈ですもの。
 いいえ、寧ろ救急車に乗せるまでも無かった可能性の方が高いわね。」


フッ、と些か自嘲気味にが短い笑いを漏らすと、カノンは俄かに眉を顰めた


「・・・別に感謝される程の事でも無い。」


それが俺の任務だからな。
その一言は敢えて口にせず、カノンは腕を組み替えた
運転中の車内は揺れるため、カノンの背のガラス片は消毒以外の手当を受ける事もなく、血染めのシャツを羽織ったそのままの姿だ
無論、傷を放置したままで置く訳にも行かない
恐らくは搬送先の病院がそう遠くないのであろうと二人には思われた
果たしてその推測を裏付けるかの如く、サイレンと共に通りを快走し続けて来た救急車の速度が徐々に落ち始め、視界の先に白っぽい建造物が姿を現した
病院に到着します、とクルーの一人が前の座席から告げるのと時を同じくして車体は停止し、スッと後部のドアが開いた
ガラガラと大きな音をたて、院内から搬送用ベッドが横付けされたが、カノンは軽く手で制してベッドの使用を断り救急車の後部ステップから降り立った


「・・・付き添いです。」


もその後に続き、職員と思しき女性の先導のままに病院の妙に白い廊下を奥へと進んだ
――ギリシャに於いては、国民であれば公的医療機関は無料で利用できる制度になっている
無論、その分利用者数は大変な人数となるため、気が長くなるほどの待ち時間を要する
待ち切れぬ者は私立の病院に罹るべし、と言う事に他ならないが、昨今の経済事情で公立病院の利用者は増加の一途を辿っている
廊下の脇の待合用と思しき長椅子は老若男女を問わずぎっちりと立錐の余地も無く人々に埋め尽くされ、おそらくは病気であるにも拘らず、座り損ねた者がぽつぽつと壁を背に立たされている有様だ
余程長い時間を持て余しているのだろう、高齢者を除く多くの者が携帯電話を片手に世間話に興じていた
廊下の真ん中をひたすらに直進するとカノンを待合人達が一様にチラと見上げたが、彼らは引き潮のようにまたすぐに通話口に吸い寄せられた
待合人たちの手前もあり、は押し黙り無表情で最後尾を辿っていたが、やがて救急処置用の一室に通されるとようやく胸を撫で下ろした


「……ですので。」

「おい。」


ふう。
の唇から安堵の吐息が漏れる

良かった。…本当に良かった。


「おい、。……聞いているのか、。」

「…え?あっ……はい。」


カノンの低い呼び掛けで、は安堵の深い霧の中から現実に引き戻された
まだぼんやりした表情を浮かべるに、カノンは眉間に皺を寄せぴしゃりと言葉を叩きつけた


「処置を受けるのは俺だけだから、お前は一旦外に出る様にとさっきから言っているんだ。聞いているのか?」

「あ……ごめんなさい。ちょっとぼうっとしていて…。解ったわ、じゃあ、すぐ外の待合椅子が空いていたら其処に居るから。」


は慌てて自分の鞄を手に持つと、すぐさま処置室を後に廊下へと消えた
カノンはのその背中を暫し無言で見詰めていたが、の姿がドアの向こうへ消えると再度医師を向き直った


「ご家族の方ですか?」


担当の若い男性医師に唐突に訊かれ、カノンが俄かに眉を顰める


「…まさか。」


にべも無いカノンのその返事が殊の外想定外だったのだろう、医師はやや訝しげな表情でカノンをチラと一瞥した
その様子を察したカノンは膝に乗せていた片腕を下に降ろし、小さく溜め息を落とした


「いや…家族ではないが、知り合いだ。」


何もわざわざ言及する必要もあるまいに。…俺らしくないな。

己を取り巻く微妙な焦燥感にチリチリとした苛立ちを感じ、カノンはそれを払拭する様に自らの首を僅かに横に捻ると苦笑を浮かべた
医師は更に怪訝な視線をカノンに投げ付けたが、其処はそれ、医師である。すぐに商売に立ち返り、カノンの身体の診療を再開した
くるりと椅子ごと背を向けたカノンの強靭な肉体の見事な美しさに暫し惚れ惚れとしたものの、やがて医師は深い深い溜め息を一つ落とした
今度はカノンが訝しむ番である


「……何か?」

「いえ。…いや、ね、カノンさん。」


医師は急拵(こしら)えのカルテの患者名欄を一瞥し、うーんと短い唸り声を上げた


「貴方、よくこの傷で平気で居られますね。普通、激痛で意識が飛びますよ。」


ああ、そんな事か。
雑作も無い、と言いたいところではあるが、流石にそれは咽の奥に押し込んで、カノンは背を向けたまま片手を軽く上げて見せた
要は「早く治療してくれ」と言いたいのである
医師はやや呆れ、いかにも取って付けた様にカノンに訊ねた


「……麻酔はどうしますか?」


…やれやれ、インフォームドコンセントとやらも兎角厄介なものだ。全く以って様式美としか思えないが
カノンはやはり振り返る事無く、先程上げた手を無言でひらひらと前後に振って見せた







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待合椅子にようやく空きを見付けたが其処に座すこと一時間半ほど経過しただろうか、処置室の扉が開きカノンがその姿を現した


「カノンさん……大丈夫、なの…!?」


すぐさま腰を浮かせて自分に駆け寄るを軽く手で制し、カノンは後手でドアを閉めた
多少憔悴した面持ちでがカノンを見上げる
恐らくは自分の処置の時間中、座ったままずっと息を殺して待っていたのであろう
カノンは僅かに目を細め、の疲れ切った肩にポンと片手を添えた


「…見ての通りだ。」


相も変わらず血染めのままのシャツの襟の部分を少し寛げ、隆々とした胸板に巻かれた包帯をチラリとに向けた
純白に晒された包帯は幾重にもカノンの肉体を取り巻き、所々に小さな血の染みを描き出している


「傷口からガラス片を取り除き、縫合してある。…血が滲んでいる箇所は縫合距離が長いだけだ。きちんと処置されているから気にするな。」

「そう……。それなら良かった。」


はそれを聞くと、力が抜けた様に再び椅子にへたり込んだ
両の目を閉じ、殊更に深く大きな呼吸を数度、繰り返す
赤の他人に対してとは思えない程に、の心痛は深いのだろう
カノンに取っては随分オーバーな所作に思えたが、聖域外の一般人からすれば存外こんなものなのかもしれない
何より、カノンは憎むべき兄以外に家族と言う物を知らない
で、あるが故、自分以外の存在に対して『心痛』などと言う感情を抱いた事はなく、従って目の前のの一連の様子には正直戸惑いに似た感情を喚起されるばかりだ
…だが、不思議と不快な気はしない
正体の判らない、この妙な感情は何だろうか?
その問いに彼自身で答えを出すのは後に回す事にして、カノンは目の前の疲れ切ったに対処するのを先決させる事とした


「…手を貸せ。」


カノンはの手を引き、椅子からその場にゆっくりと立たせた
どっと噴出した疲れで倒れそうなの背に片手を回し、カノンが支える


「……は何処だ?」

「…え……?何…?」

「お前の家は何処にあるのか、と訊いている。俺の言葉も聞き取れないような状態では危ないだろう。…お前の家まで送り届ける。」


唐突なカノンの提案に、が目を見開く
無理も無い。今の今まで医師の世話になっていたのはではなく、カノンの方である
その当のカノンがよりにもよって自分を家まで送ると言うのだ、驚くのが当然だ
は床に落としそうになった鞄を再度肩に掛け直すと、カノンに向けて首を横に振った


「その必要はないわ。私、一人で帰る事が出来るから。貴方の方こそ、今治療を終えたばかりなんだから、早く家に戻らないと。」

「だが…。」

「…本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう、カノンさん。」


はピシャリとまさに文字通り『謝絶』すると、食い下がろうとするカノンに背を向けて廊下を足早に歩き出した


「おい、待て。」



カノンが慌てて後を追うが、の歩みはそれ以上の速度でカノンをどんどん突き放す
シャツの襟のボタンを留めるのも忘れ、カノンは数歩走りの前方に回るとその進行を遮った
先刻縫合したばかりの胸での顔を受け止め、カノンはに問い質した


「待て、と言っているだろう。…何故逃げる?」


カノンのその問いに、は顔を伏せたまま答えない
否、その所作自体がの答えだったのだろう
それ以上は何も訊けず、カノンは暫しそのままの姿勢を貫くしか無かった
じんわりとカノンの胸元に新たな血が滲み、砂時計の様に時間を刻む
消毒薬特有の鼻を突く香りに混じる血の匂いに気付いたが、はっとして徐にその顔を上げた


「早く帰って。…生きている人は、傷を治さなくてはいけないわ。」


その言葉に何か言い返そうとしたカノンより早く、は数歩後ずさるとにこりと柔らかな笑みを浮かべた


「今日は本当にありがとう、カノンさん。…私、貴方の事忘れない。」


はそのまま背を向けると、足早に病院のエントランスホールへと歩き出した
追いかけて来ないで。流石のカノンにものその背が語るメッセージは理解できる
の姿が廊下の向こうに消えて更に余りある時間、カノンは言葉も無くその場に棒のように立ち尽くした
困惑、と言う至極単純な単語で片付けられる程、カノンの心の裏(うち)は整然とはしていない

…何かが引っ掛かる。

自分に対するの一連の言動と行動。その一つ一つを順を追って並べてみるだけでも、カノンには不可解な点が多すぎる
そもそも、自分は事件現場でを最初に見た時から不審に思っていたのでなかったか
彼女は犯人では無いと、そう決め付けるだけの理由は本当にあったのか
何時の間にか自分で自分を納得させていただけではないのか
…だが、そこまで考えたところで、カノンの推理はやはり一旦止まってしまう
いや、記憶の中のの言葉が止めてしまうのだ 
『…良かった……本当に良かった…。これ以上は………。』
あの時、はその後に何を言おうとしていたのだろう
あの時のの涙には嘘偽りは無い。自分へのその後の彼女の労わりにも。それはカノンにも判る
だが、何かパズルに符合しないピースがカノンの心の中に引っ掛かっているのだ
『疑念』などと言う簡単な言葉では片付けられない何かが。
彼女が犯人かもしれないし、またはそうではないかもしれない。既にそんな問題を超越してしまっている『何か』、その正体を知りたい
カノンは随分前にの後姿の消えた廊下を無言で睨みつけていたが、一つ深い息を吸い込むとエントランスへと歩き出した







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テッサロニキ郊外の小さな集落。
『Λανγαδχας』(Langadhas・ランガダス)と言うのが正式な名称であるが、要はテッサロニキのベッドタウンの一つとして数万の人口を抱える小さな町である
路線バスを降りたカノンは、の残した微かな小宇宙の軌跡を辿り細い路地を奥へ奥へと進んだ
平均身長を優に超すカノンだが、怪しまれぬ様に己の気配を薄めつつ通りを歩いているため誰も怪しみはしない
その証拠に、無邪気にはしゃぐ子供達の群れが幾つもカノンと擦れ違ったが、カノンに気を留めた子供は居なかった
道は途中から勾配を持ち始め、暫く進んだ所で階段へとその姿を変えた
――地震や大戦時の空襲などにより何度か建て替えられ、近代的な中層マンションのぎっちり立ち並ぶテッサロニキとは異なり、ランガダスはビザンツ帝国時の趣を色濃く残す典型的な古い町並みによって構成されている
濃い赤茶色の瓦を多用した建物が多いのがその最たる特色であろうか
細い路地を進むに連れ、己に向けて迫り来る様な卵色の壁を妙に眩しく感じるのが不思議だ
このまま進むと早晩袋小路に突き当たるのではないかとカノンは思うのであるが、意外にも小道は延々と続き、遂には開けた高台へと辿り着いた
テッサロニキより北東に30kmほど内陸へ入った場所にランガダスは位置する
故に、高台からはテルマイコス湾などは臨むべくもなく、カノンの目に映るのはランガダスの町並みと、それを取り囲むように広がる荒涼とした山々の肌だけであった
見方にも依るであろうが、その飾り気の無さが聖域とその麓の町の景色に似ていなくもない――無論、こちらは白亜の巨大な神殿群を頂きはしないのだが

…どうにも、考え過ぎだな。

カノンは唇の片端を上げて自嘲気味に苦笑すると、意識をランズケープからの小宇宙の軌跡へと集中させた
路地に残っていたの弱い気配は高台に向けて徐々にその匂いを濃くし、一軒の小さな家の前で一旦途切れている
恐らくは、其処にが住んでいるのだろう
高台の上は路地と異なり家々もまばらで、寧ろ木々の間に家が数件建っているような感じである
カノンは出来るだけ己の身が人目に付かない様に木陰を転々と移動し、の家と思しき建物の前に聳え立つオリーブの大木に背を付けて遠巻きに窓を窺った
素朴な木製の鎧戸が設えられた窓辺にはこれまた素朴なレースの白いカーテンが吊るされ、家の内部はそう労せずしても窺い知る事が出来そうだ
日の長いこの時節、日没を間近に控えた時間帯にも関らず、の家は誰一人として人の出入りがないのがカノンには少々不思議に思えた
大概の家庭であれば、気候の良い時期のこの時間帯には夕飯前の一時を屋外で語らう人々の姿が見受けられるのが普通である
実際、近隣の数件の家の軒先には老人や子供がベンチに座り、しきりと話に花を咲かせている様子が窺える
状況からカノンが推測するに、は一人暮らしなのかもしれない
何も、郊外の一軒家に住んでいるのが『家族』である必要はないのだから

…だが、それにしてもだ。

カノンは人影一つ掠めない窓辺をじっと見詰め、僅かに首を傾げた

幾ら一人暮らしであったとしても、近隣の人間との語らいに出て来る気配が毛ほども感じられないとは
これは、徹底的に他人との係わりを拒絶していると言う事だろうか

己の事は完全に棚の上に上げ、カノンは木陰で腕組みをした
少しづつ、夕闇が丘を包んで行く
他の家では一家の主婦達が夕飯の支度をしているのであろうか、辺りは食べ物特有の良い香りが漂い始めている
家庭と言う物をよく知らぬカノンではあったが、妙に郷愁らしきものを誘われ、つい空を見上げて溜め息を一つ落とした
と、その時の事である。の家の窓辺に人影が掠めた
古めかしい窓を音も無く開くのは、見紛うかた無き本人である
夕闇の中で見るの顔は妙に青白く、一層生気が無く映った
身に纏うワンピースがなまじ暗い色であるために、蒼い顔だけがぽっかりと際立って浮かび上がるのが少々奇異でもある
何時の間にか自分までもが暗い表情に沈んでいる事に気付き、カノンは軽く首を横に振った
鉛の様に表情を沈めたまま、は窓から鎧戸に腕を差し伸べるとゆっくりと扉を閉じる
ギギギギ…と古い木特有の軋む音だけが小さな悲鳴の様に辺りに響き、やがての姿と共に消えた
言葉も無く一連の様子を見詰めていたカノンが再び空に目を遣ると、何時の間にか日は没していた
徐々に藍を帯びて来る空が、不思議と何時もより一層高く感じられる

…今日はもう動きはなさそうだ。

考えてみれば、に取って今日一日は大変な日だったのだ、疲れていて当然だ
事件や負傷ですら日常茶飯の自分と同じレベルに考えてはいけない
今更ながらにその事に気付くとカノンはフッと苦笑を浮かべ、オリーブの幹から背を離した
カノンの上空遥かでは、星々が小さな光をチカチカと放ち始めていた








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